今日は雨だし寒いしコタツから出るのめんどいし、だったので
積読(つんどく。積んでた本を読んでしまうこと。ツンデレじゃないよ)してた本を片付けることに。
で、萌える男を読了。
やっぱ面白かった。「萌え」の構造について適格な分析がなされている上、そこから現代社会の恋愛事情や家族問題、さらには自己存在の問題二まで論じています。
オタクじゃない一般の人は電波男ではなく、こちらの本を読むことをオススメします。
電波男は一般人にはわからないオタク向けの冗談も含まれていますので、完全に冷静な「萌え」分析には向いていないです。
で、萌えが流行ってるわりに社会的に認められずに差別されている原因を考えてみたんですが、
現代において「萌え」が差別されるのは、差別する人々の「思考停止」が上げられるということ。
これは以前述べたDQNの思考原理と同じです。
「萌え」を批判する理由としてよくあるのが、
・「現実から逃避している⇒単なる妄想だから意味がない」
・「萌える人々はモテるための努力をしていない」
という二つ。
一つ目の理由について。
「萌え」は、広義で「自己の脳内で行う単なる妄想」と捉えられがちですが、我々が生きる現実社会は脳内で描かれた事象が現実社会にアウトプットされてできた構造をとっています。
例えばや車や男女平等社会、ロボットなどは最初はいわゆる「妄想」でしたが、いまや社会を構成する立派な存在となっています。
よって「妄想」自体は悪いことではないのです。むしろ我々が生きるのには必要不可欠な存在です。
そして「萌え」にはさらに自己存在を安定させる機能もあります。
現代で恋愛が商品化されているということは、「恋愛敗者」も必ず出てくるということです。
そういう人々の救いの場として「萌え」は重要な役割を果たしています。
「恋愛勝者」は相手と互いに自分の存在を確認しあうわけですが、
「恋愛敗者」は独自に愛し、愛される空間を精神世界に創り上げることによって自分の存在を確立させます。
以前も言いましたが、人間は自分の存在価値が認められないと死んでしまう脆弱な存在なので、この両方の活動は必須。
つまり「萌え」は存在しなければならない存在ということです。
次に二つ目の理由について。
そもそも人間は恋愛をしなければならないのでしょうか?
恋愛なんてしなくても生きていけるのは自明であるし、そんな義務はどこにも明記されていません。
それに恋愛できないからといって人間そのものの価値が失われるわけではありません。
「恋愛しなければならない」という考え方は、神に自己存在を見出せなくなった代わりに、恋愛をしてお互いに自己存在を見出そうという考えから生まれたものです。
しかし、現実社会で恋愛が商品化、競争の場となった現代ではその価値が相対化されてしまい消えてしまっています。(だから純愛を求める「萌えオタク」という存在がいる)
よって昔以上に「恋愛」の必要性は薄れているわけです。
だから恋愛なんていらないよ、という話ではなくて、 価値の見出せないものに固執して苦しむよりは自分の理想(幸せのカタチ)を求めて生きるほうがよいという話です。
さて、差別する人々の批判はこのように、「現実こそが全てである」という自分達の価値観にしか基づかない論ということは明らかです。
つまり「萌え」という別の価値観を持つ人々を排除しようとしている、ということ。
現実が全てである彼らにとって、精神という別のベクトルの世界を抱く「萌える人々」は彼らの価値観とは異なる、いわゆる「異教徒」。
異教徒は自分達の存在を脅かす存在となる可能性を持つから排除しよう、という考えによる差別。つまりそれは「自分さえよければそれでいい」という非常に幼稚な、そして低レベルな思考に基づいている。
自己中心主義=思考停止こそが最大の原因。これは他者を苦しめ、時には社会をも苦しめる思考です。
これを排除できるか否かにこそ、人間の価値を見出すべきではないでしょうか。
「萌え」を低レベルな存在として捉えて、自分の価値を上げるよりも。
とまあ述べたわけですが、
そもそも本当に「萌え=悪」と思考停止してる人は最後まで読んでくれませんからね。
自分にとって都合の悪いことは(∩゜Д゜)あーあー聞こえない。
だからせめて、ココまでよんでくれた人は、上記のことを意識していただけると良いと思います。
ご意見ご感想お待ちしています。
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